笑いあり涙あり正義あり、そんな警察官漫画の傑作「ハコヅメ~交番女子の逆襲~」。そのスピンオフであり、誰もが目を背けたくなるような負の感情に触れ続けたのが、この「ハコヅメ~交番女子の逆襲~ 別章 アンボックス」です。あまりにも大きな感情に揺さぶられ、読み終えた時には涙が止まりませんでした。この作品は、本当にとてつもない傑作です。

話の中心となるのは本家ハコヅメでも人気のある黒田カナ。彼女は小さい身体ゆえに体力面肉体労働面では警察官としてのハンデを持っています。しかしそれを補って余りある要領の良さ、状況判断力、抜群の思考回路を持っており、生活安全課の裏課長と揶揄されるほどの活躍をしています。何事にも動じず、のらりくらりと困りごとを解決もとい避けていく様子は、ハコヅメ本編で幾度と無く見ることができました。その姿を見る度に、彼女が如何に優秀なのか理解できたものです。

そんなカナの心情の変化をある事件を通して読み解いていくのが大きな話の筋となっています。とはいえ、1話の最初から、ボディブローのようにじわじわと重いカナの心情が語られ始めるのです。
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それはハコヅメ本編でも語られたことのある、警察学校時代に手を差し伸べられた記憶。本編ではカナの視点はなく、同期同士で助け合ってやってきたという描かれ方のみでした。これを当時のカナ視点の心情が吐露されるのです。

「絆」の名のもと 大きな手が目の前に差し伸べられるたび、私は一生この人たちの仲間にはなれないんだと思い知らされた。

この一言で、このカナの表情で、実はカナがどれだけ体格差にコンプレックスを持っていたのかが読み取れてしまいます。ほぼ最初のページなのに既にかなづちで頭を殴られたような衝撃を感じます。本編ではひょうひょうとしていたカナ、本編では弱みなんて見せたことのない強いカナ、そんなカナがこれほどまでに追い込まれていたのか、と。

そう、当然ながら警察官というのも一人の人間なのです。一人ひとり考え方が違えば、得意不得意も違うし、もちろん心情も違うのです。失敗すれば落ち込むし、褒められれば嬉しい。犯罪を未然に防げれば市民の安全を確保できたと安堵し、犠牲者を出してしまえば自分が救えたはずだと罪悪感に苛まされる。なのだから、他人から見たカナはすごく健康そうに見えても、実は内心はボロボロなのかもしれない。だからこそ警察官といえども個人を尊重しなければならないのです。

アンボックスで発生する事件は町山警察署管内で発生した失踪事件。小さい町だからこそ、その恐怖が伝播する速度、噂が飛び交う速度も早い。おまけに事件は、生安が何度も110番通報を受けて事案対応をし続けていた同棲カップルによるもの。噂が早い町だからこそ、警察は一体何をしていたんだ、犯人はまだ捕まらないのか、これだから警察は、といった罵声が飛び交う。

一方、当初事案対応していた生安のカナ達も、警察官としてやれるだけのことは十分にやっていた。それ以上のことは実際に事件が発生しないと動くことは出来ない。実際、ハコヅメ本編でも痴情のもつれから殺人へ走った相手を未遂で逮捕することが出来た。警察は何もしてくれないのではなく、警察が動いているからこそ事件が発生していないのだ。だがしかし、今回はそれでは済まなかった。

市民から罵声を浴びせかけられる町山警察署の職員たち。加えて、事件発生以前に事案対応していた生安のカナたちは最大の標的に。
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「どこからだろう どこからやり直せば るみさんを守れたんだろう」「いや…悪いのは私だ。あの強くて正しい人達が担当だったら きっと事件は防げてた」

こうして、罵声と共に、自分が被害者を守れなかったのが自分のせいではないか、自分がもっと強く正義感のある警察官だったらこんな事件など発生しなかったのではないかと、負の感情に飲まれていくのです。正義のために、人の役に立つために警察官になったはずなのに、私が担当したばかりに守れなかった。私が警察官なんてならなければ、私がこの世にいなければ、こんなことにならなかったに違いない。この描写が、非常に、とてもとても、つらく、せつない。

本当に、読み始めるとみるみるうちに引き込まれて、このあたりの描写でひどく落ち込んで、人間というのはこうも負の感情に苛まされるのか、弱気になってしまうとこうも叩き落されてしまうのかと、心を抉られる思いで読み進めました。これがまた、黒田カナだからこそ、何事も無いように振舞える強い女性警察官だと思っていたからこそ、その心情の落差に強い衝撃を受けました。本当に、ページをめくる手が辛かった。

その後はそんなカナの負の感情の受け皿として、同期の正義漢代表のような山田が歩み寄ってくれるのが本当に素晴らしい。冒頭で手を差し伸べてくれた同期が、負のどん底に落とされた今でもまた手を差し伸べてくれる。その手はやはり、名実ともに「絆」なのではないか。


作者の泰三子先生は元警察官で、少しでも警察官になりたいと思う人を増やしたいということからハコヅメを描いているそうです。おそらく、このアンボックスに描かれているストーリーも、実体験等をベースに作られたものなのではないかと思うのです。だからこそ、世の中に風潮している「警察は事件が起きた時しか動いてくれない」という意識を少しでも払拭できるよう努めているのでしょう。そもそも警察が動いているから事件の発生を抑えられており、それは一般市民が知る必要もないことなので知られていないだけ。それでもどうしても事件というのは発生してしまう。そんな時、何もしていないから警察のせいで事件が発生したという側面だけでなく、警察官も一個人として複雑な感情を持って対処しているのだということを。

非常に考えさせられる、しかし警察が存在する以上、税を納めている身としては一度は考えなければならないことが詰まった1冊と言えるでしょう。必読です。

惜しいのは、スピンオフだからキャラがわからないと面白さは少し落ちるかもしれないです。私はハコヅメの大ファンで何度も読み返しているので、余計に感情移入しすぎた側面はあるかも。ただ、おそらくあまり本編を知らなくても、アンボックス単体で楽しめるのではないかと。アンボックスが楽しめたらハコヅメ本編も絶対楽しめると思います。

傑作をありがとうございます。


眠気覚め度 ☆☆☆☆☆


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